熊本オールドキッカーズ創設の経緯

黒木 参喜  (2010年4月著)    

 西日本OBサッカー連盟設立(1974年)後6年を経る頃となると連盟登録チーム29、会員数980名に達しており、その頃すでに約3分の1強が50歳以上となってはいたが、55歳以上となると未だ少数派で年齢・体力的にも所属チームで活動することをためらう会員が出始めた頃であった。
その状況を踏まえ、55歳以上の希望する会員を募りこれを連盟の直轄下において人員に応じてチームを作り交流してはどうかとの提案があり、56年1月河本春男会長名で西日本サッカー元老チーム編成に関するアンケート調査が行われた。
 その結果、会員の大方の賛同を得て同年4月加藤正信理事長が新会長に就任(後任に副理事長の職にあった緒方健司が就任)されるや、その名も元老チーム(Vクラス)と命名して元老チームの入部申込みを受け付けた。
 同年7月4日神戸市タワーサイドホテルにおいて元老チーム設立総会が開催され、お互いの健康長寿・親睦を図り生きがいを満喫すると共に、連盟の事業(少年サッカーの育成)を支援する目的に沿って加藤会長起案による西日本サッカー元老チーム内規(案)が全会一致で承諾され、ここに西日本直轄元老チームの発足をみたのである。
 当時、所属チームを持たない者にも門戸を広げた結果、設立当初の構成員は48名であった。前身の熊本県OBサッカークラブからは、故木村利信・故広瀬昌郎・緒方健司の各氏が入会された。入会者にとっては所属チームのほか元老チームでも活動ができ、さらに活動の範囲が広がったのは甚だ好都合であった。ちなみに熊本4校OBサッカー大会が始まったのもその頃である。
 時代が移り第4代緒方健司会長(平成2年4月)の代になってから、元老年代層も飛躍的に増え、直轄元老会員の外に神戸・名古屋・京都など単独で元老チームを立ち上げるまでになり、当時塚本洋之(大阪・故人)元老幹事長の下で内規も整備され、生涯現役を目指すXクラスの活動基盤が確立したのである。熊本もこれに遅れじと、緒方健司氏をはじめ南條信幸氏(故人)・城塚幸雄氏・甲田憲一氏・竹村昭一氏・片岡龍之氏といった方々のご尽力によってXクラスチームを立ち上げ、その名も「熊本オールドキッカーズ(愛称:KOK)」と命名し、平成6年(1994年)7月1日、上通り会館において有志による設立総会が開催され、永井隆一氏を会長に勇躍発足をみたのである。
 クラブの名称の発案者は甲田健一氏で、緒方健司氏・南條信幸氏・甲田健一氏の3氏が知恵を絞った結果、以前から深く関わってこられた熊本県OBサッカーの源流とも言うべき、サンデーキッカーズにちなんで甲田氏のご発案で一決された経緯がある。
 さっそく、同年10月10日県民総合運動公園において西日本元老熊本大会、翌年7月には瀬の本大会、9月3日、24日には山鹿市後藤グランドにおいて元老山鹿大会が遠来の西日本元老チームの助っ人に清水レディース(ママさんチーム)の方々の協力を得て開催された。現今では、更にXクラスを超えてRクラス2チームを編成できるまでに成長発展するに至ったことは、生涯現役を目指す者にとって真に喜ばしいことである。これも一重に、熊本オールドキッカーズの設立に深く携わってこられた前述の方々並びに歴代会長を始め役員の方々のご熱意と献身的なご奉仕によるものと、会員の一人として心から敬意を表し感謝する次第である。

inserted by FC2 system